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(写真提供:三松正夫記念館)


昭和18年、突然地震と共に始まり、麦畑が隆起して出来た火山は、後に昭和新山と命名されました。
当時は戦争中のため、食料もなく、フィルム・紙・衣類にも事欠く中で、誰一人として研究する学者もいませんでした。
壮瞥町で郵便局長をしていた一人の男がこの噴火を見守っていました。
「噴火は地球内部を探る最大のチャンス」の教えに従い、寝食を忘れ、創意工夫を重ねてこの活動の一部始終を記録したのです。
さらに昭和21年には、私財をなげうちこの土地を買い取ったのです。
昭和23年、オスローで開かれた「万国火山会議」に提出されたこの資料は「ミマツダイヤグラム」と名ずけられ、多くの専門家に絶賛されたのです。
国内では、「第一回北海道文化賞」を始め数々の賞を受け、その功績が讃えられました。
昭和52年、生涯3度目の有珠山噴火を体験、その活動の終幕を待たず、12月8日病にて没しました。御年89歳。
自然を愛する三松さんの思いは、昭和新山の麓に銅像として蘇り、この山を守り続けて行くのでしょう。

昭和新山を見守るように建つ三松正夫さんの銅像

「三松正夫記念館」
有珠郡壮瞥町字昭和新山184-12
TEL 0142-75-2365 /
FAX 0142-75-2852
【展示物】
ミマツダイヤグラム・スケッチ・声のライブラリー他
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